PROFILEプロフィール

誕生から関西に移るまで

1982年
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12月23日 長崎県に生まれる

長崎県雲仙で生まれ、すぐに東京に移りました。
幼い頃、幼稚園では園庭を目一杯駆け回るのではなく、ブロックやお絵描きを目一杯楽しんでいました。
小学校では体育会系ではなく、少しぽっちゃり体系でしたが、中学高校時代は陸上部に所属、短距離選手として活躍、高校時代は東京都大会にリレー種目で出場しました。精神的にも鍛えられ、陸上を通じて沢山の友人に恵まれました。当時は漠然と研究に興味があり、明星大学理工学部に入学後、分子生物学とくに、ヒトの細胞生物学に興味が湧いたことで、ご縁があり横浜市立大学の研究室に外部研究生として一年間卒業研究を行いました。

研究者になるきっかけを与えたくれた恩師との出会い

2005年
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歌人であり細胞生物学者である永田和宏氏に出会う

漠然と研究者になりたいという夢を持ちながら、過ごしていた大学時代に私の人生を変える特別な出会いがありました。
それは京都大学の細胞生物学者であり歌人でもある永田和宏先生(現:JT生命誌研究館 館長)との突然の出会いでした。漠然と研究者になりたいと思っていた私がふらっと立ち寄った東京丸ビルで、たまたま永田先生がご自身の研究についてお話しされていました。詳細は割愛しますが、永田先生は細胞内品質管理機構を専門にされています。その講義では、細胞内では人間の生活と同様に社会が形成されていて、その細胞社会が破綻しないようにどのように上手に制御されているかお話してくれました。そして、講義が終わり、最後に質問に行った時に、永田先生は私に人生を変える魔法の一言をくださいました。「細胞っておもろいやろ?」、質問の内容はもっと細かいことを聞いたはずなのですが、この言葉が私のハートを射抜き、この先生と一緒に研究をしてみたい!これが私の人生の夢に変わりました。

夢に向かって ー奈良編—

2007年
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奈良先端科学技術大学院大学に入学

晴れて永田先生に憧れ大学院生として生活をスタートした地は奈良県でした。
国立大学法人奈良先端科学技術大学院大学は日本では珍しい学部がない大学院のみを持つ大学で、色々なバックグラウンドを持つ日本各地の学生が集まるユニークな大学です。そこで、多くの友人と尊敬する先生方との出会いがあり、海外での学会発表など多くの貴重な経験を積むことができました。
大学院での配属先である河野憲二先生の研究室では、認知症や癌などの私たちの生活と関わりが深い病気の原因の一つである小胞体ストレスの研究を行うことにしました。
この研究を進めた結果、この分野で著名なLinda M. Hendershot博士から推薦受けて、2009年に初めてアメリカのバーモントで開かれた国際学会の口頭発表に採択されたました(当時、大学院の修士課程での発表だったので、同学会の最年少発表であると紹介されたのを記憶しています)。ポスター発表ですら、英語でしたこともないのに初国際学会が口頭発表になるというとても貴重な経験をすることができました。

大学院時代の山本洋平と河野憲二教授
2010年
28

日本学術振興会特別研究員に採択

大学院での研究結果が認められ、若手研究者の登竜門として知られる日本学術振興会の特別研究員に採用され、卒業までの間、多くの国際学会の機会に恵まれ充実した大学院生活を送ることができました。

2011年
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第15回 日本細胞生物学会論文賞を受賞

大学院での研究成果が、第15回 日本細胞生物学会CSF論文賞を受賞しました。CSF論文賞とは英文学術誌“Cell Structure and Function”において当該年一年間に掲載された原著者論文の中から、学術誌上最もすぐれた論文一編に贈呈される賞です。

2012年
30

博士号(バイオサイエンス)取得

奈良先端科学技術大学院大学から博士(バイオサイエンス)の学位が授与されました。

夢に向かって ー京都編—

2013年
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京都産業大学 博士研究員

2005年にはじめて永田先生にお会いしてから、研究生活を開始し、2013年に私の夢である永田和宏先生と一緒に仕事をするチャンスを得ることができ、博士研究員として研究室に雇っていただくことになりました。そこでは、機能未知のタンパク質の研究を行うことになりました。
研究を進め、そのタンパク質の細胞内での機能が明らかになる過程で、認知症の原因である神経変性疾患との関わりが明らかになり、その治療法の確立に繋がる可能性も見出されたことから、その研究の一部を特許として申請することができました(山本洋平、永田和宏 細胞内の異常物質蓄積を伴う疾患の治療薬、バイオマーカー、診断薬、並びに、スクリーニング方法 出願人:出願日:2015年9月4日 特願2015-174597号)。
京都で研究に没頭した5年間はとても充実した時間であり、私の人生において特別な5年間になったのは間違いありません。

永田和宏教授とイタリア サルディーニャ島でのEMBO meeting*にて
*EMBO meetingは欧州分子生物学機構が主催する毎年ヨーロッパ各地で行われる国際会議です
2015年
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バイオベンチャー企業と共同研究を開始

プロジェクトリーダーとして、研究の一部を創薬に発展させることを目的とし、バイオ医薬のベンチャー企業と共同研究を開始しました。

新型コロナウイルスがもたらした社会と新たな夢

2018年
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大阪大学大学院にパーマネント助教として着任

任期期間がないパーマネント助教として大阪大学大学院 歯学研究科に着任し、研究者そして教育者としての活動を開始しました。

2020年
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研究論文が米国SCIENCE紙の細胞生物学TOPICSで取り上げられる

永田先生の元で研究した成果が論文として出版され、私の研究者としての夢がとうとう叶いました。さらに、この研究論文が世界的に著名な雑誌であるScience紙の細胞生物学のtopicsで取り上げられました(Science 369 6509 1336-1337, 2022)。
2005年に初めて永田先生にお会いしてから、15年間一途に夢を追いかけ続けた結果が得られたのです。この夢の達成と同時に次の人生の目標について私は考えるようになりました(人生を進んでいく上で、そのエネルギー源になる動機はとても重要なものであると私は考えています)。

地域政党京都党との出会い

2021年
39

新型コロナの蔓延と地域政党京都党との出会い

研究者としての一つの夢を叶えた矢先、新型コロナが世界中に猛威を振るうようになりました。
私は大阪大着任後も京都に住み10年という月日が経ち、私の周りには多くの大切な友人家族ができていました。皆で定期的に集まり、食事をしながらお互いの近況を話すことが当たり前であった日常が一転、直接会うこともできなくなり、飲食店をしている友人はお店を開けられず苦しい状況が続き、大切な家族が適切な医療行為を適切に受けられず本来ならば助かった命が失われていきました。科学的な立場にいるものとして、正しく論理的に判断されていない状況は理解し難いものでした。そんな状況が続く中で、私には何ができるのであろうと思うようになりました。
このことをきっかけにして、私は市政に興味を持ち、京都で何が起こっているのかということにも興味を持ちました。

2022年
39

地域政党 京都党 伏見区支部長として着任

市民という立場で調べていくうちに京都市が破綻し兼ねない財政難であること、そして長い間この事実を我々市民に隠しながら市政が行われていたことを知りました。それと同時に、この問題に長年にわたり向き合っていた京都の地域政党である京都党に出会い、党が主催する政治塾に参加することで、さらに詳細に京都で起こっていること、そして、これから京都がどのように進化していくべきなのかについて議論を深める機会が得られました。
その過程で、次の夢、人生の目標が徐々に出来上がってきました。それは京都に住む人々のために私は私がこれまで培ってきた科学的知識や経験を使って、京都に住む大切な人たちの暮らしを今よりもずっと良いものにしたいという夢です。特に私が行ってきた認知症の基礎研究の知識と経験は京都に住む人々に必ず貢献できると思っています。この夢を叶えるために、一途に京都市政へ挑戦したいと思います。